2009/07/07

個説/詭弁に気をつけよう

ネット上の議論を見ると、かみ合っていないなぁ、と思うことが良くある。

理由は簡単。お互いに自分のことだけしかいわないから。他人の意見を聞こうとしない。とにかく自分にとって都合の良いところだけ反論し、都合の悪いことは無視する。

そんな調子でお互いにやり合うのだから、ヒートアップこそすれ、議論としてまとまるはずがない。

ネット上はともかく、身近なところでもこういう例は見られたりする。

例えば、喫煙問題。喫煙の反対派は、自分たちにとって都合の良いことばかり挙げて、喫煙をとにかく悪と決めつけようとしている。喫煙はそんなに悪いことか?わたしはそうは思わない。たばこは嗜好品の一つに過ぎない。身体に悪い?そんなこと言えば、他にも身体に悪い物はいっぱいある。そもそも、喫煙者は身体に悪いことなど百も承知だ。しかし、このストレス社会。たばこでも吸ってないとやってられないという状況を理解することも必要なのではないだろうか。

※ちなみに、わたしはたばこは吸いません。しかし、嫌煙者でもありません。

で、反対派の意見で良く聴くのが「マナーが悪い」という話。少なくとも、わたしの周りにいる喫煙者でマナーの悪い人は一人もいない。みんな、喫煙コーナーで細々とたばこを吸っている。見ていてこっちが申し訳なくなるぐらいだ。

もちろん、マナーの悪い人もいる。

ここで問題なのは、「一部のマナーの悪い人」をつかまえて、さも「たばこを吸う人全体のマナーが悪い」的な議論に持っていき、いつのまにか「たばこを吸うことがマナー違反」になってしまっている。いっていることがエスカレートしすぎる。

更に問題なのは、「わたしは気管支に障害を持っています。近くでたばこを吸われると体調が悪くなります。公共の場所でたばこを吸うということは、見知らぬ人に危害を加えていることになることを理解して欲しいのです。」という趣旨の発言。じっくり読めばわかるが、最初は個人的な事情を喋っているのに、いつの間にか、全体の話になっている。

とにかく規制派に言える特徴として、個々の事例(これについては反論できない)を持ち出し、それを元に一般論として規制すべきだと飛躍するところですね。

もちろん規制論者はここで論点の飛躍があることは十分に承知している(ように見える)。それだけにたちが悪いんですけどね。同じ論法で反論しても良いが、「それとこれとは話が違う」として話を聞かない。論点の飛躍を認めないのです。

つまり、議論が出来ない。そりゃ平行線になるわけだ。

困った話として、これ、別に喫煙問題に限った話ではないんですよね。皆さんの周りを見れば、こういう事例、嫌という程転がっていますよ。気付いていますか?

本来ならば、統計をとり、規制の裏付けをするのが筋。でも、筋を通すと矛盾点が浮き彫りになるので、こういう論法を取る人たちは、統計的なことは言わない。あるいは、調べようとしない。数字を出しても聞く耳を持たない。

こういった詭弁を使う奴等。どうにかならないもんですかね。

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2009/06/19

個説/日本の文化を守ろう

とりあえず、一言書いておく。何故書こうとしているか?それは、この前の記事でも実は薄ぼんやりと書いている内容だったりする。簡潔に書くと…

日本発の文化が消えようとしている。

まぁ、とりあえずまとめサイトがあるので、それを見て欲しい。

エロゲ販売規制問題まとめwiki

これについて、私の意見を簡単に書いてみたいと思う。

最初は、この規制の話を聞いて、いわゆる成人向けの表現の規制だと思っていた。だが、どうもそうではないらしい。手始めにエロを規制し、それを足がかりに、どうやら色々と一網打尽にしようとしている、ということらしい。

昔、宮崎勤が逮捕されたとき、成人向けまんがが一斉に自主規制をするということが起きた。これの何がすごいかというと、今でいう成人向けの本が、一斉にそういう表現をやめ、一種異様な雰囲気になっていた。まぁ、確かに宮崎勤の起こした犯罪は許せないものだったが、それが妙な方向に波及してしまった。で、それからもう20年ぐらい経つ。そのときのダメージから復活した業界は、いつの間にか萌えというキーワードとともに、復活したように見えた。

で、まとめサイトを読んでびっくり。いわゆる萌えに代表されるものも規制しようとしているらしい。別に萌えがすべてというわけではない。だが、この萌えの世界は、浮世絵のように日本で花開いた新しい文化の象徴ではないかと思っている。浮世絵も、当時は単に庶民の娯楽でしかなかった。それが、後の西洋人に評価され、日本が誇る文化として扱われるようになった。

どうも、日本人は、自分自身の文化について、第3者から指摘されないと客観的な評価が出来ないらしい。

でだ。浮世絵をもちょっと調べてみると、いわゆる春画というものがかなりの数作られていたことがわかる。浮世絵は、別に高貴な文化ではなかった。庶民の娯楽だったことがこのことからも伺えると思う。

更に。

どうも、浮世絵を評価する人は、春画をあえて無視しているようなきらいがある。残念ながら、浮世絵は春画と切っても切れない関係にあることを、理解したくないように見える。多分、絵を評価していた西洋人の価値観の影響が大きいと思う。どうも、キリスト教文化圏は、こういうものを毛嫌いしているように思う。そして、宗教的にまずいことをタブーとして扱い、議論も何もせず、闇に葬っているように思う。

一方。

日本は、こと娯楽に関しては、どんどん突き進んでいく印象がある。で、タブーとかを巧みにくぐり抜け、気がついたら頂点に立っている。そんな国だ。で、特にすごいのは、頂点に立っても、全然それを意識しないこと。で、頂点を極めたら、更に上の頂点を目指す。で、どんどんのぼっていく。職人の国、日本らしい。

頭に留めておいて欲しいのは、浮世絵は春画を片方の車輪として発展していったということ。これは、現代の萌えと同じだと思う。萌えは、どうやって発展してきた?出発地点はわからないが、エロを片方の車輪として発展してきたのは間違いない。で、多分、これからも発展していく。のびる余地はいっぱいあるはずだ。

規制したい人間がいるのはわかる。浮世絵も時の権力者からの迫害と闘ってきた。

だから。

今のエロを出発点とする規制に対しても、庶民として断固闘っていくべきだと思う。対岸の火事?そう思うのは間違いだ。いわゆる萌えキャラは、いつの間にか、そこら中に広がっている。最近のニュースだと、あきたこまち(お米ですね)の袋に萌えキャラを使ったとか。そういえば、この絵を描いた人(西又葵)は、スターウォーズの絵を描いてくれと海外からオーダーが来たということもあったな。つまり、文化として定着した。で、海外からも評価され始めている、その現実を理解してもらいたい。

文化は庶民の手にあるべきものだ。権力者によって規制するべきものではない。

萌えは文化ではないという人もいるだろう。果たしてそれは正しいのだろうか。私は、そんなもの、今評価できるわけがないと思っている。多くの芸術家のように、死んでから評価されるというなどというのはばかげている。

今、目の前にある文化を、消してはいけない。

文化を滅ぼすのは簡単だ。しかし、滅びた文化を復興させることは難しい。

だから、私は、自分に出来ることをやるつもりだ。手始めは blog 。その次はまだわからない。でも、これからもこのニュースについては書き続けるつもりだ。読む人がいなくても。

※付記。萌えを男性に限った話だと思うのは間違っている。そういう先入観は良くない。女性も同じだ。どうも、萌え=可愛い女性の絵だと思っている人が多いように思う。まぁ、そんな考え方だから規制しようという動きが出てくるのだろうと思うが。

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2009/06/16

個説/似非法治国家日本

なんとなく、個人の意見を中心に載せるときにはこのジャンルを使おうと思っています。いわゆる社説の個人版。というわけで個説。皆さんご自由にお使いください。

さて。

最近、色々と変な法律が制定されているようです。やり方によっては、どうにでもとれる法律。こういう法律ができることの問題について書いてみたいと思います。

法律はそもそも何のためにあるのか。

実は、法律というのは、為政者が統治をやりやすいように、勝手に作ったルールなのではないか?そう思っています。もちろん、法律以前にも不文律的なものはありました。いや、あったはずです。それは、無いと生活ができない、守らないものは、社会的に抹殺される。そういう生死に関わるものだったと思います。

多分、法律の出発点はそこだったんじゃないかと思います。

でも、法律は、昔から良いように為政者に利用されてきました。でも、生活していく上で守らないといけないルールとしての不文律がベースになっている以上、おおっぴらに反対できない。だから、大義名分を持って権力を振るえる便利なもの。いつの間にか、法律はそう変わっていったような気がします。

これは最近でも一緒。わかりやすい例でいくと、戦争の時の言論を取り締まる法律とか。国家的に、戦争には賛成しないといけないという雰囲気を作り、それに反対するものを一方的に取り締まる。法律が為政者にとって良いように使われた顕著な例だと思います。

最近、これと同じ雰囲気を感じます。

もちろん、別に今戦争をしているわけではない。なので、戦時中のように露骨にやっているわけではない。でも、気がついたら色々と取り締まる法律ができている。

ここで注意してもらいたいこと。取り締まることの目的は何か?ということ。

現在の日本では、犯罪者として警察のやっかいになると、かなりの確率で社会から抹殺されます。少なくとも、会社組織に属している人間にとって、これは致命的。取り締まられても大丈夫な仕事に就いている人なんかほんの一握りだと思います。

つまり、法を犯すことは、かなりのリスクを伴う。現状認識としてこれは皆さん同意できると思います。

そして、法律の適用範囲が、法律で明確に決まっていない。運用する側で恣意的に決めることができる。そういう法律が増えてきているような気がします。これは、為政者側のやりたいように法が適用できると言うことでもあります。

ここでもう一度注意してもらいたいのは、取り締まることの目的。

もちろん、大義名分では、社会的によくないことを抑止すること。この社会的によくないと言うことがミソです。よくないという薄ぼんやりしたものの中に入れることができれば、実は何でも取り締まれてしまうのです。

法律さえ作れば。

で、法律は、一度できてしまうと、なかなかなくすことができません。未だに明治時代に作られた意味のない法律が残っている(らしい)という話もあります。法律をなくすことが難しい理由は簡単。なくすためには、法律を作るのと同じぐらいの労力がかかるからです。

さらに。

取り締まりの口実(これは為政者側にとって便利)を、わざわざ労力を払って無くすわけありませんよね。

てなわけで、どんどん怪しげな法律が増えていき、気がついたら、我々の生活そのものが脅かされている。そんな状態に、今、まさに、入ろうとしている。そう思うわけです。

法律は作ったもの勝ちです。しかも、その法を適用するかしないかは、実は為政者の判断にゆだねられています。いわゆる「目をつむってもらう」ということ。これ、皆さんの身近にもありますよね。で、この為政者側の裁量を増やす、それが、どうとでもとれる不明瞭な法律な訳です。これでやっと先頭で書いた話に戻りました。

取り締まる目的、これもはっきりしてきましたよね。所詮、法律によって定義される正義は体制派側の意見でしかないのです。民主主義だから大丈夫?そんなことを本気で思っている人はいませんよね?民主主義が理想通りちゃんと働いているのであれば、政治家は聖人ばかりになるはずですが。現実はどうでしょうね。

みんな知っているのですが、結局、体制側に利があるから法律ができ、その利を守るがために法律が適用されるのです。体制側=多数派ではありませんよ。そこを良いように誘導されて、体制側=多数派と思わされているのです。

というわけで。

このまま息苦しい世の中になるのはとても嫌なので、個人的に警鐘を鳴らしてみました。みんな、衆愚政策に良いように踊らされていますよ、本当に。

※もちろん、これは個人的な意見です。鵜呑みにはせず、いろいろなニュースを読んで個人で判断してください。政治家になれとは言いませんが、政治に興味を持つのは悪いことではないと思いますよ。

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