まぁ、私が精神を病んでいるというのは昔からこの blog で書いている。それに、そういう人も今では珍しくない。だから、今から書くことは別段珍しいわけでもないし、大しておもしろいことでもない。鬱病の患者がどのような状態なのか、興味があれば読んでも良いかもしれない。その程度の文章であることをあらかじめお断りしておく。
自分が何をしているんだろうと思うことがよくある。たとえば電車に乗っているとき。こんなにもたくさん人がいるのに、ものすごい孤独感に襲われたりする。何をしているんだろうな、と思う。何で生きてるんだよ自分。意味無いだろう、と。
私は鬱病である。この病気は、直接的には命に関わることはない。ただ単に、心が壊れていく、それだけの病気だ。でも、死に至る病とも言える。壊れていく心に耐えられなくなったら、そこで終わりだ。それを止めるために、薬を飲み続けている。でも、薬を飲んでも治るわけではない。調べればわかるが、薬は狂ってしまった脳内での化学物質の分泌を補うだけだ。基本的には、運がよければ自然治癒することもあるだろうが、運が悪ければ治らないままだ。治るか治らないか、それは賭と同じ。時間がたってみないとわからない。だから、私は今日も薬を飲み続けている。
いつから鬱病になったのか。それはよくわからない。でも、気がついたら、暇さえあれば死ぬことを考えるようになっていた。そして、何もかも億劫になっていった。生きることも含めて。でも、なぜか生きている。それは、誰にでもある、死ぬことへの恐怖があるからに他ならない。たとえば、今ここでちょっと動くだけで死ねるという状況というのは、日常生活でよくあることだ。でも、いざ死のうかというタイミングで恐怖心が頭をのぞかせる。もしかしたら、それは鬱と戦っている自分の脳のささやかな抵抗かもしれないし、まだ自分の心に理性が残っている証なのかもしれない。でも、それがまた自分を追い込む。生き損ない、死に損ないの自分。最低だ。
冷静に考えれば、すでに狂っているのかもしれない。何年も、毎日、死ぬことを考え続けている。生きていることの意味を見失い、あがいている。心に穴が空いている。それを埋めるため、あがいている。たとえば物を買う。買うことで心を満たされるかもしれないから。でも、心は満たされない。だから、ひたすら物を買い続ける。悪循環だ。買っても満たされないことはわかっているのに。
もしかしたら、何か生き甲斐にある物があれば変わるかもしれない。そう思うこともあった。もしかしたら、結婚して、子供でもいれば、違った生き方をしていたかもしれない。でも、それも無理な話だ。平凡だけど幸せな暮らし。そういうこともできない。あまりにも情けない自分。嫌になる。
こんな心理状態を理解してもらおうとは思わない。それは無理な話だ。わかっている。だから、つらい。だから、孤独感に駆られる。だから…
早く狂ってしまいたい。
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