日陰者として
なんとなく、思ったことをつらつらと書く。
オタクという単語がいつ頃出来たのかわからない。気がついたら、定着していた。個人的に、オタクがマイナスイメージを持っていることを認識させられたのが、パトレイバー(これも古いね)の中の台詞。
泉野明が篠原遊馬に向かって「おたくさぁ…」って言ったときの遊馬の言葉。
「オタクって言うな」(微妙に違うかもしれない)
これかな。あぁ、オタクって言われるのは嫌なんだ。そう思った。
で、基本的には、オタクって言うのは蔑称。で、オタクたちは、あえてそれを自分に対して使うというかなり自虐的なことをしていた。オタクというのは、そういうマイナスイメージをかなりまとった言葉だった。
なので。
オタクだった人間は、自分はマイノリティであることを十分に理解していた。だから、特別な場所以外では、基本的におとなしく、目立たないようにしていた。これがまた相乗効果を出して、オタクはどんどん片隅に追いやられていった、そう思っている。だから、その当時のオタクは、日陰者だった。
それが、いつ頃だろうか。オタクとして分類される人たちが増えてきた。多分、昔からのオタクはいつの間にかオタクの世界でも片隅に追いやられてしまった。そして、新しいオタクが増えてきた。
新しいオタクの特徴。多分、彼らは自分を日陰者とは思っていない。オタクのどこが悪い?ぐらいの開き直りを感じる。そういう人たちが原動力となって、今のオタク層が形成されていった、そう思う。
そして、その波に取り残された旧オタク層。相変わらず日陰者。
多分、新しいオタクの方が健全なんだろう。でも、新しいオタクは、昔のオタクが守っていた線をあっさりと突き破る。日陰者と思っていないので、どんどん主張する。それは例えば痛車であったり、コミケの隆盛であったり。
ここで、多分、バランスが崩れた。
相変わらず、オタクに関する世間の目線は冷たい。だが、新しいオタクはそこにずかずかと入り込んでいく。だから、軋轢が生まれる。
わたしは昔のオタクだ。だから、新しいオタクをうらやましく思う一方で、おいおい、そこまでやって大丈夫か?とも思ったりする。
今の多数派は新しいオタクだ。
ずっと日陰者の古いオタクとして思うことは一つ。新しいオタクが、妙な軋轢を生まないでくれること。
今のままだと、新しいオタクが、古いオタクが体験した差別よりも強烈な差別を体験することになるように思うから。
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