« ある意味予想通り | トップページ | なぜ嘘をついてはいけないか »

2007/04/05

顔が見えないと言うこと

話をするとき、相手の顔を見てしゃべるのは、礼儀だし、そもそもやって当然だと思う。というのは、会話は一方通行ではなく、相手の反応もあって初めて成り立つものだからだ。会って話す。だから会話。

でも、インターネットの blog やら掲示板やらでの会話はどうだろう。相手の反応は全くわからない。だから、会って話しているときには当然かかるであろうブレーキがかからなくなったりすることが多々あると思う。2chに代表される掲示板もそうだし、SPAMと称される一連の行為もそう。一方通行であるが故の弊害だと思う。とはいえ、便利であることに変わりはない。2ch を閉鎖しても似たようなものが出来るだけだろうし、SPAMは永久に消えないだろう。そもそも、連絡手段としての mail や表現の手段としての blog やホームページはもう完全に定着してしまっている。顔の見えないコミュニケーションというのはそれが良かれ悪かれ、定着してしまった。

無論、手紙という顔の見えないコミュニケーションは昔からあった。でも、手紙と mail が同じものとは思えない。手紙の方が気持ちがこもっている気がする。もちろん、mail に気持ちを込めることが出来ないというわけではない。単純にそんな傾向があるように思う訳だ。人のコミュニケーションはより希薄な方向に向かっている、そう感じるのだ。これはインターネットに限ったわけではない。たとえば、隣に誰が住んでいるかわからない生活というのも当然のようにある。昔は助け合って暮らしていた筈なのに、今は助け合うどころか隣人とのトラブルという話の方がよく聞こえる。

どうしてそうなってしまったんだろう。

もしかしたら、礼儀とか助け合いというのは、人の本質からは外れているのだろうか。人は争い会い、いがみ合うのが本質であり、それを押さえるために礼儀というものが出来たのだろうか。でも、人は昔から集団で生活していたはずだ。集団で生活する以上、礼儀というものは欠くことが出来ないものだったはずだ。人と同じく集団で暮らす猿にだって礼儀があるのに。

わからない。

礼儀を忘れた集団は集団として存在しうるのか?近い将来、何かの答えが見えてくるような気がする。

PS. 何でこんな事書いているかというと、明らかに礼を欠いたコメントとか、無関係なトラックバックとかが増えているからです。いやならコメントもトラックバックも禁止すればいいのはわかっているのですが。

|

« ある意味予想通り | トップページ | なぜ嘘をついてはいけないか »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/50935/14558026

この記事へのトラックバック一覧です: 顔が見えないと言うこと:

« ある意味予想通り | トップページ | なぜ嘘をついてはいけないか »