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2006/02/07

病気の話

まぁ、私が精神を病んでいるというのは昔からこの blog で書いている。それに、そういう人も今では珍しくない。だから、今から書くことは別段珍しいわけでもないし、大しておもしろいことでもない。鬱病の患者がどのような状態なのか、興味があれば読んでも良いかもしれない。その程度の文章であることをあらかじめお断りしておく。

自分が何をしているんだろうと思うことがよくある。たとえば電車に乗っているとき。こんなにもたくさん人がいるのに、ものすごい孤独感に襲われたりする。何をしているんだろうな、と思う。何で生きてるんだよ自分。意味無いだろう、と。

私は鬱病である。この病気は、直接的には命に関わることはない。ただ単に、心が壊れていく、それだけの病気だ。でも、死に至る病とも言える。壊れていく心に耐えられなくなったら、そこで終わりだ。それを止めるために、薬を飲み続けている。でも、薬を飲んでも治るわけではない。調べればわかるが、薬は狂ってしまった脳内での化学物質の分泌を補うだけだ。基本的には、運がよければ自然治癒することもあるだろうが、運が悪ければ治らないままだ。治るか治らないか、それは賭と同じ。時間がたってみないとわからない。だから、私は今日も薬を飲み続けている。

いつから鬱病になったのか。それはよくわからない。でも、気がついたら、暇さえあれば死ぬことを考えるようになっていた。そして、何もかも億劫になっていった。生きることも含めて。でも、なぜか生きている。それは、誰にでもある、死ぬことへの恐怖があるからに他ならない。たとえば、今ここでちょっと動くだけで死ねるという状況というのは、日常生活でよくあることだ。でも、いざ死のうかというタイミングで恐怖心が頭をのぞかせる。もしかしたら、それは鬱と戦っている自分の脳のささやかな抵抗かもしれないし、まだ自分の心に理性が残っている証なのかもしれない。でも、それがまた自分を追い込む。生き損ない、死に損ないの自分。最低だ。

冷静に考えれば、すでに狂っているのかもしれない。何年も、毎日、死ぬことを考え続けている。生きていることの意味を見失い、あがいている。心に穴が空いている。それを埋めるため、あがいている。たとえば物を買う。買うことで心を満たされるかもしれないから。でも、心は満たされない。だから、ひたすら物を買い続ける。悪循環だ。買っても満たされないことはわかっているのに。

もしかしたら、何か生き甲斐にある物があれば変わるかもしれない。そう思うこともあった。もしかしたら、結婚して、子供でもいれば、違った生き方をしていたかもしれない。でも、それも無理な話だ。平凡だけど幸せな暮らし。そういうこともできない。あまりにも情けない自分。嫌になる。

こんな心理状態を理解してもらおうとは思わない。それは無理な話だ。わかっている。だから、つらい。だから、孤独感に駆られる。だから…

早く狂ってしまいたい。

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コメント

お久しぶりでございますくさなぎです。

私も2年前に残業し過ぎで、家の住所(帰り方)や階段を降りる動作を忘れる極端な痴ほう?症状がでて、心療科に鬱病を疑い通った経験があって、結果として重い不眠症からくる基本的な記憶情報の欠落だったわけですが。

>薬を飲んでも治るわけではない
私も医者に言われた、体の不調でなく気持ちが落ちているので補助はできても、あとは気力の問題だと。

医者が精神論を語るとは何事と思ったけど、回復した今思い出すとまさにその通りだと感じる。

>恐怖心が頭をのぞかせる。
私は猛烈な恐がりでジェットコースターとか緩くても乗れない口なので、逃げまくりますね恐怖から、度が過ぎてえらいことになったこともありますが…

>買うことで心を満たされるかもしれないから。
私の場合は食べる事でした、気が付くとお菓子を夜中に腹一杯食べた上で、もうろうとコンビニでアイス5個位買って溶ける前に全て食ってました。

現状回復した私の考え方は、とにかく格好悪くても猛烈に寂しくても生きてりゃ、明日買った宝くじが当たるかもしれない、時がなんとかする。

治療とはとても言えない方法でしたが、いつの間にか気楽に物を考えられるようになりました。

あと案外食生活や眠りも密接な関係もあったらしいのでとりあえず朝昼晩のごはんをしっかり、できるだけ同じ時間に食べたりすると、生活にリズムができて気持ちよく日常が遅れたりします。

仕事がら睡眠の調節は無理があるとしても、食事は案外効き目がジワジワ出てくるのでお勧め、食べ物は選びませんとりあえず時間を毎日同じにするのです。

私も色々試して「どれもこれもダメダー」と再び心が塞ぎ始めたころ「アレ?治ってるかも」と初めて自覚したので、できることは何でもやってみるといいですよ。

自律神経を整える体操講座や、1本5000円もした濃いカルシウムの漢方薬、カウンセリングも数限りなく、そりゃあ本も棚いっぱい買ってよんだし、良いといわれるものは何でもやりましたから。

でもやっぱり私が1番心にとめてたのは「明日買う宝くじが当たるかもしれんのだから死んだらもったいない」
です、生きてれば時間がそれを忘れさす可能性もあるのですから…

投稿: くさなぎ | 2006/02/07 23:10

お久しぶりでございますくさなぎです。

私も2年前に残業し過ぎで、家の住所(帰り方)や階段を降りる動作を忘れる極端な痴ほう?症状がでて、心療科に鬱病を疑い通った経験があって、結果として重い不眠症からくる基本的な記憶情報の欠落だったわけですが。

>薬を飲んでも治るわけではない
私も医者に言われた、体の不調でなく気持ちが落ちているので補助はできても、あとは気力の問題だと。

医者が精神論を語るとは何事と思ったけど、回復した今思い出すとまさにその通りだと感じる。

>恐怖心が頭をのぞかせる。
私は猛烈な恐がりでジェットコースターとか緩くても乗れない口なので、逃げまくりますね恐怖から、度が過ぎてえらいことになったこともありますが…

>買うことで心を満たされるかもしれないから。
私の場合は食べる事でした、気が付くとお菓子を夜中に腹一杯食べた上で、もうろうとコンビニでアイス5個位買って溶ける前に全て食ってました。

現状回復した私の考え方は、とにかく格好悪くても猛烈に寂しくても生きてりゃ、明日買った宝くじが当たるかもしれない、時がなんとかする。

治療とはとても言えない方法でしたが、いつの間にか気楽に物を考えられるようになりました。

あと案外食生活や眠りも密接な関係もあったらしいのでとりあえず朝昼晩のごはんをしっかり、できるだけ同じ時間に食べたりすると、生活にリズムができて気持ちよく日常が遅れたりします。

仕事がら睡眠の調節は無理があるとしても、食事は案外効き目がジワジワ出てくるのでお勧め、食べ物は選びませんとりあえず時間を毎日同じにするのです。

私も色々試して「どれもこれもダメダー」と再び心が塞ぎ始めたころ「アレ?治ってるかも」と初めて自覚したので、できることは何でもやってみるといいですよ。

自律神経を整える体操講座や、1本5000円もした濃いカルシウムの漢方薬、カウンセリングも数限りなく、そりゃあ本も棚いっぱい買ってよんだし、良いといわれるものは何でもやりましたから。

でもやっぱり私が1番心にとめてたのは「明日買う宝くじが当たるかもしれんのだから死んだらもったいない」
です、生きてれば時間がそれを忘れさす可能性もあるのですから…

投稿: くさなぎ | 2006/02/07 23:10

くさなぎさん、こちらこそご無沙汰しております。

ま、結論最初に書いちゃうと、鬱病だと、何もできないんですよね。薬飲んで、調子が戻っているときは普通っぽい生活が送れるんですけど、何もできなくなるんですよね。何も。

私は都合2年間、何もしていませんでした。鬱病歴はもっと長いのですが。一番ひどいときは、半年間、ずっと寝てました。もちろん休職。今職場復帰できていることが信じられないぐらいだめな状況でした。テレビを見ることもない。ラジオを聞くこともない。音楽を聴くこともない。抜け殻のような状態でした。しかも思考は負のスパイラルから抜け出せない。よくもまぁ、あの状態で自殺しなかったなぁと思いますよ、ほんとに。それは今でも一緒と言えば一緒ですけど。

プラス思考とか、できるんだったら鬱は治っているでしょう。なんというか、精神の奥底でプラス思考をしようとすることをじゃまする何かがいるのです。この感覚、うまく説明できないのがもどかしいです。

とりあえず、今は生きています。たぶん、明日も生きているでしょう。でも、1年後に生きている自分の姿が想像できない。脳味噌のどこかが壊れちゃったんですよね、きっと。

いつまで耐えられるのかなぁ。

投稿: おかだ | 2006/02/08 01:16

フランクルの態度価値
●人生におけるミッションというものは、作るものではなく発見するものである。
 すべての人は、人生における独自の仕事あるいはミッション(使命)をもっている。その点において、誰もその代わりになることはできない。そして自分の人生を繰り返すことも出来ない。したがって、すべての人に与えられている使命とそれを実施する機会は、その人独自のものである。
 終局において、人は人生の意味は何であるかを問うべきではない。むしろ自分が人生に問われていると理解すべきである。一言で言えば、すべての人は人生を問われているのだ。自分の人生の責任を引き受けることによってしか、その問いかけに答えることはできない。
●自分の可能性が制約されていることが、どうしようもない運命であり、避けられない事実であったとしても、その事実に対してどんな態度をとるか、その事実にどう適応し、その事実に対してどう振る舞うか、その運命を自分に課せられた『十字架』としてどう引き受けるかに人間は生きる意味を見出すことができる。

趙昌仁「カシコギ」より
●あなたがくだらないと
思っている今日は、
昨日亡くなった人が
何とかして生きたかった
何としてでも生きたかった
今日なんです。

投稿: メニエル・オヤジ | 2006/02/08 22:28

こういうコメントがくるということは、鬱病のことが正しく理解されていないんですね…
改めて書きたいと思います。

投稿: おかだ | 2006/02/09 23:28

すいません。

鬱病のことを分からなくて気軽に書いてしまいました。

私、実は重度のメニエル病でして、原因不明で対症療法しかありません。
発作が起こると暗い部屋で横になっているしかない状態が数年続いてます。

発作が無いときは健常者と同じなのですが、
多分一生付き合っていかなければならないと思います。

なので、いままで本で読んだりして、自分なりに元気がでたとか、
境遇を噛み締める契機になった言葉などを、元気付ける意味で気軽に書いてしまいました。

>健常者の尺度で図れば怠け者でぐーたらでマイナス指向の馬鹿にしか見えないでしょう。
>でも、鬱病の本人は、そのことをすごく気に病んでいます。
>なんで自分はこんなになってしまったんだろうと毎日毎日自問自答しています。

自分もそうで、同じ思いだと思います。
家族や会社にも迷惑をかけてることを認識しています。

だから、叱責したり、揶揄したりする気持ちはまったくありませんでした。
気分を害されたようで、どうもすみませんでした。

忘れてください。

投稿: メニエル・オヤジ | 2006/02/10 22:31

こちらこそ気を遣わせてしまったみたいでごめんなさい。

私はエニメル病のことを知りませんでした。今調べて初めて知りました。気軽に大変とか言えないのですが、苦労はいっぱいありそうですね。

何でこんな病気があるんでしょうね。何でこんなにつらいことがあるんでしょうね。とても悲しいです。

投稿: おかだ | 2006/02/11 00:22

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